四国、八十八カ所巡り 『一日一寺』
二十七番札所 神峯寺 (こうのみねじ)
名称 竹林山 神峰寺
宗派 真言宗豊山派
本尊 十一面観世音
住所 高知県安芸郡安田町唐の浜2594 Tel 0887-38-5495
御詠歌 みほとけの恵の心神峯、山も契いも高き水音
(みほとけの めぐみのこころ こうのみね やまもちかいも たかきみづおと)
山門仁王門と、掛け軸の朱印墨書

「真っ縦」といわれる勾配四十五度の一.三㌔の急坂で知られた土佐の関所。寺のある山頂までは三・三㌔あるが、遍路で難行した宮地達観氏の奉仕で自動車道が開通し、歩かずして山門までゆける。
三菱王国を築いた岩崎弥太郎の母は、幕末のころ弥太郎の開運を祈願して、この急坂を登り、二十一日の間二十㌔離れた井ノ口から神峰寺へ日参した。やがて、弥太郎は大成し後に山林を寄進し、報恩を感謝している。
寺の縁起によれば、当初天照大神、その他諸神が祀られ、後に行基菩薩が自ら十一面観音を刻んで安置し、神仏を合祀した。大同四年には聖武天皇の勅命によって観音堂と名づけられ、廷暦年間に四国霊場に定められた。明治の神仏分離で一時廃寺となったが、明治十七年再興された。山門は龍園尼の発願で建立。本堂、大師堂は急な山の斜面に建てられている。境内には清澄な霊水が湧き出ており眼下に美しい紺青の海原が望まれる。
<道のり>
金剛頂寺→羽根岬(国道55号線)→田野→安田町→唐ノ浜→神峰寺
前のお寺よりここ迄の道のり 35km 累計距離 349.5km
今日迄のウォーキング実績 累計距離 174.6km
二十一番札所・大龍寺に向かってます
★四国八十八ヶ所遍路文化のあゆみ★
遍路の接待
2・接待の内容
品物を提供する接待
江戸時代からの接待で出された食べ物としては、その場で食するご飯・湯茶・甘酒を始めとして、携行も可能な餅類・漬物・梅干・味噌・入り豆・ふかし芋・ミカン・梨など多種多様なものがあげられる。また、持ち運ぶのにはやや重いものの、白米の接待も一般的であった。食べ物以外の物品では、道中でどうしても履き替えが必要な草鞋やチリ紙などの紙類が主で、変わったものとしては弘法大師や四国霊場について記した本の接待(施本)などがあげられる。さしあたって必要の無い物品を貰った遍路は、遍路道沿いの町で売ったり他の物と交換したりして、遍路行を続けるために役立てた。
平成の現在においての物品を見ると、餅類・ミカン・お茶・ご飯・ふかし芋など昔と同様の接待品に加えて、食べ物ではお菓子や菓子パン、ジュース・などの飲料水が登場しており、食べ物以外ではティッシュペーパー・タオル・巾着袋など、すぐに役立つ旅の実用品が接待されているのが分かる。また、うどんの接待が多いのは香川県ということであり、そういった意味で接待に地域の特色も出ている。
金銭を提供する接待
これも江戸時代から現代に至る接待である。
今は主として歩き遍路に対し、飲料水代程度、あるいは500円・1.000円を接待する場合が多いようだ。
また、接待品にさい銭として5円玉、10円玉を添えて渡す場合もある。もっとも、いくら接待だからといって金銭をもらうことに抵抗感を感じる遍路もなかにはいるようでである。
行為を提供する接待
江戸時代によく見られたのが、髪結い(床屋)が札所境内などで遍路の頭髪を整える接待で、こういった整髪の接待は銘じ40年ころまであったという。同じく、按摩やお灸の接待については、現在もおこなわれている例がある。
交通関係では、江戸時代、川など橋のない大河を無料で渡すいわゆる「善渡し」が知られている。
また、遍路のために遍路道を整備するも、行為による接待といえよう。遍路道沿いの村々では、病気で行き倒れた遍路に対する接待にも篤いものがあった。そして、もし病気の遍路が村内で死亡すると、所持する納札などによって住所が判明すれば遍路の故郷へ便りを出したり、遍路の遺体を埋葬して墓を立てたりすることも行われた。

『 katu1947のらくがき』
今日の天気は、夕べからの雨が引き続き降っていて、終日雨の予報
この時間にもかかわらず、どんよりとした空の下で暗い、今日もこの天気ではウォーキング
中止ですね、昨日から予報は雨だったのでかさでもさしてと思っていたが、どうしようか
迷っている。最近ウォーキングが生活の一部になり行わないとどうも体がしっくりこない
朝方の風模様の天気も風は弱くなったようなようなので行こうと思っている。
それにしても、最近話題不足な、落書きコーナーになっている(反省はしています!!)
名誉挽回の今日の写真

いつものように花の名前は判りませんが、ピンクの鈴蘭のようです、かわいいですね!!
名称 竹林山 神峰寺
宗派 真言宗豊山派
本尊 十一面観世音
住所 高知県安芸郡安田町唐の浜2594 Tel 0887-38-5495
御詠歌 みほとけの恵の心神峯、山も契いも高き水音
(みほとけの めぐみのこころ こうのみね やまもちかいも たかきみづおと)
山門仁王門と、掛け軸の朱印墨書

「真っ縦」といわれる勾配四十五度の一.三㌔の急坂で知られた土佐の関所。寺のある山頂までは三・三㌔あるが、遍路で難行した宮地達観氏の奉仕で自動車道が開通し、歩かずして山門までゆける。
三菱王国を築いた岩崎弥太郎の母は、幕末のころ弥太郎の開運を祈願して、この急坂を登り、二十一日の間二十㌔離れた井ノ口から神峰寺へ日参した。やがて、弥太郎は大成し後に山林を寄進し、報恩を感謝している。
寺の縁起によれば、当初天照大神、その他諸神が祀られ、後に行基菩薩が自ら十一面観音を刻んで安置し、神仏を合祀した。大同四年には聖武天皇の勅命によって観音堂と名づけられ、廷暦年間に四国霊場に定められた。明治の神仏分離で一時廃寺となったが、明治十七年再興された。山門は龍園尼の発願で建立。本堂、大師堂は急な山の斜面に建てられている。境内には清澄な霊水が湧き出ており眼下に美しい紺青の海原が望まれる。
<道のり>
金剛頂寺→羽根岬(国道55号線)→田野→安田町→唐ノ浜→神峰寺
前のお寺よりここ迄の道のり 35km 累計距離 349.5km
今日迄のウォーキング実績 累計距離 174.6km
二十一番札所・大龍寺に向かってます
★四国八十八ヶ所遍路文化のあゆみ★
遍路の接待
2・接待の内容
品物を提供する接待
江戸時代からの接待で出された食べ物としては、その場で食するご飯・湯茶・甘酒を始めとして、携行も可能な餅類・漬物・梅干・味噌・入り豆・ふかし芋・ミカン・梨など多種多様なものがあげられる。また、持ち運ぶのにはやや重いものの、白米の接待も一般的であった。食べ物以外の物品では、道中でどうしても履き替えが必要な草鞋やチリ紙などの紙類が主で、変わったものとしては弘法大師や四国霊場について記した本の接待(施本)などがあげられる。さしあたって必要の無い物品を貰った遍路は、遍路道沿いの町で売ったり他の物と交換したりして、遍路行を続けるために役立てた。
平成の現在においての物品を見ると、餅類・ミカン・お茶・ご飯・ふかし芋など昔と同様の接待品に加えて、食べ物ではお菓子や菓子パン、ジュース・などの飲料水が登場しており、食べ物以外ではティッシュペーパー・タオル・巾着袋など、すぐに役立つ旅の実用品が接待されているのが分かる。また、うどんの接待が多いのは香川県ということであり、そういった意味で接待に地域の特色も出ている。
金銭を提供する接待
これも江戸時代から現代に至る接待である。
今は主として歩き遍路に対し、飲料水代程度、あるいは500円・1.000円を接待する場合が多いようだ。
また、接待品にさい銭として5円玉、10円玉を添えて渡す場合もある。もっとも、いくら接待だからといって金銭をもらうことに抵抗感を感じる遍路もなかにはいるようでである。
行為を提供する接待
江戸時代によく見られたのが、髪結い(床屋)が札所境内などで遍路の頭髪を整える接待で、こういった整髪の接待は銘じ40年ころまであったという。同じく、按摩やお灸の接待については、現在もおこなわれている例がある。
交通関係では、江戸時代、川など橋のない大河を無料で渡すいわゆる「善渡し」が知られている。
また、遍路のために遍路道を整備するも、行為による接待といえよう。遍路道沿いの村々では、病気で行き倒れた遍路に対する接待にも篤いものがあった。そして、もし病気の遍路が村内で死亡すると、所持する納札などによって住所が判明すれば遍路の故郷へ便りを出したり、遍路の遺体を埋葬して墓を立てたりすることも行われた。

『 katu1947のらくがき』今日の天気は、夕べからの雨が引き続き降っていて、終日雨の予報
この時間にもかかわらず、どんよりとした空の下で暗い、今日もこの天気ではウォーキング
中止ですね、昨日から予報は雨だったのでかさでもさしてと思っていたが、どうしようか
迷っている。最近ウォーキングが生活の一部になり行わないとどうも体がしっくりこない
朝方の風模様の天気も風は弱くなったようなようなので行こうと思っている。
それにしても、最近話題不足な、落書きコーナーになっている(反省はしています!!)
名誉挽回の今日の写真

いつものように花の名前は判りませんが、ピンクの鈴蘭のようです、かわいいですね!!

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